像刻家 前川秀樹さんより「mama!milk / Duologue」へご寄稿いただきました。    2013.7.17

hidekimaekawa mama!milk

「デュオローグ、という一幕に寄せて」

森を抜けた。

ぱっと開けた視界に見渡す限り波立つ海が広がっていた。

茜色の残照に映える、草の海だった。

わたしは立ち止り、乱れた息をゆっくり整える。

ここまで追っ手が来ることはないだろう。

いや、あるいはまだ・・・。

切れ切れになったスカートの裾をたくし上げ、
傷だらけで血のにじむ脛や粗末な皮靴をそっと撫でたとき、
とたんに膝の力が抜けてその場にへたり込んでしまった。

わたしは泥のようになった身体を草の波打ち際に委ね、
静かに横たわった。

そしていつしかそのまま深く深く眠りに落ちていった。

そのままずっと時間が過ぎてしまったのだろう、
いや、本当はほんの半刻程だったのだろうか。

白河夜船の波間、聞きなれない異国風の楽器の音色が
わたしを緩やかな傾斜の覚醒へと導いた。

しっとりと、身体中の毛穴や細胞の中にまで夜がしみ込んで来ていた。

でも夜にしてはやけに明るい。

ああ、あれ。

夜空に張り付いていたのは水銀色の月だった。

すっかり凪いだ草の海と、わたしの後ろに迫る黒い森に、
平等にぞっとするほど冷たい光の粒子は降り注いでいた。

周囲を見渡す。静かに数呼吸。追っ手らしき気配はなかった。

わたしは胸をなでおろした。

すっかりと覚醒した頭で漸く大きな異変に気がついた。

目覚めたわたしは、重厚なテーブルの前に座っていたのだ。

十フィート以上もあろうかという長い樫のテーブルには、
やはり手の込んだスピンドルバックの樫の椅子が居並んでいた。

ざっと見ただけでも十数脚はある。

わたしはそのひとつに腰掛け、大テーブルに突っ伏して眠っていたのだ。

たった一人で。

一体いつから?

残りの椅子は空席だったが、それぞれの席の前のテーブルの上には、
水銀の照り返す鈍い光を凝縮したような、肉の厚いグラスが置かれていた。

空っぽのものもあれば、透明な液体でなみなみと満たされたものもある。

わたしにどうしろと・・・。

わたしはひとつ小さいため息をつきながら、
目の前に置かれたグラスを手に取った。

わたしの目の前のグラスは、満たされていた。

鼻に近付けてみる。薬酒?アニスにグーズベリー。

トネリコにヤドリギの実の香りも混ざっているかな。他は何だろう。

知っている香りと未知の不思議な香。

精緻に織りこまれた紋様のような、複雑な香を嗅ぎ分けているうち、
香りの糸のすき間から、またあの楽器の音が滑りこんできた。

無論液体は音を奏でない。

音は、この草の海の沖から・・・。

ああ、あそこから。


いつの間にあんなものが・・・。

草の海の沖に小山のように盛り上がる真っ黒な影があった。

長い脚を折り畳みうずくまる巨大な蜘蛛のように見えた。

折りたたんだ長い脚の膝は全て夜空を貫くほど高く、
それぞれの先端にひるがえる黒い旗を
緩やかな風がもてあそんでいた。

ゆるりゆらりと。

サーカスの大天幕だった。

楽器の音はそこから風に乗って響いて来るのだった。

遠いけれども不思議と今ははっきりと聞きとれる。

コントラバスと・・・アコーディオンだろうか?

二つの異なる音色。それがシンプルに響き合うだけの旋律だ。

けれども耳を傾けるうち、
その響き合いがわたしの中にさまざまな場面を
ありありと立ち上がらせてはまたすっと消えてゆくのだ。

異国の香辛料の市場の喧騒。

小さな私の手を握るのは母だろうか。

荒れる海がざっくりと陸地を切り取った白い断崖。

頬に海風が突き刺さる。

苔に半ば覆われた石壁の表面を梟の影が掠めて飛ぶ。

鍵爪に携えるのは誰かの文。

男たちの葉巻の煙と粗野な笑い声。

アブサン酒のとろりと溶けた丸い水面。

そして、祭りの日のようにたくさんの人々が
無言で早足で行き交う、都会の鉄道の駅。

わたし自身の記憶と他人の記憶が
ごちゃ混ぜになっているようだ。

殊更に主張を押し付けることのない、
淡々と奏でられる曲の数々は、だからこそ、
微細な粒子の液体のように、心の襞に難なく滑り込み、
巧みに記憶に作用する。

出会ったことすらない誰かの、いつか見た一場面を、
なり変りこっそり覗き見るような、
奇妙な感覚をわたしにもたらすのだった。

幾人もの人間の人生の幻燈。

あの大天幕の中では今、
一体どんなことが演じられているのだろう。

何者がこの多彩な音色を奏でているのか。いつしかすっかり
あの大蜘蛛に魅せられているわたしがいた。

わたしはようやく手に持ったグラスの液体を一口含んだ。

とろりと月の光が喉を通りぬけた。

刹那、ぽっと内臓に火が灯った。

その火がわたしの内側から熱となって身体中に伝わり、
やがて言葉に結晶し語りかけて来た。

貴方の番ですよ。

そうだ、行かなくちゃ。

道は、そう、わかっている。

この旋律と先客達の跡を辿ればいいだけのこと。

ほら、 そこの草の上にその名残が消えぬうちに。

ぼろぼろな革の靴の紐をもう一度締め直し、
わたしはうずくまる大蜘蛛へむけて足を踏み出した。

像刻家 前川秀樹
http://lolocaloharmatan.seesaa.net/

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mama!milk / Duologue デュオローグ [ windbell four 120 ] 2013年7月19日発売

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